「音」や「声」に関するタイトルはついつい惹かれてしまう。日常には音があふれていた。言葉の意味よりも言語のメロディが先に入ってきて、理解するのに時間がかかった頃もあった。今も気を抜くと音を中心に聴いてしまう。だから、ちょっとしたことに機微を感じやすい方だと思う。
「あなたが発するその音に、私の心は反応する。」
なんて、ちょっとポエティックに言ってみるけど、この感覚、あながち気のせいではないかもしれない。伝えたいことを正確に伝えることもキャッチできることも、自分の中のフィルターを通して行われる。コミュニケーションのすれ違いはこういったところから起きるのかもしれない。誰かと話す時、原稿の文字を口に出す時、伝えたい”音”で話す、自分のスタンス、あるいは癖は昔も今も変わっていないと思う。
うたた寝をしていると、たまに外界の音は聞こえるけど目を覚ませない時がある。ちょっと、苦しい。もし、世界からあらゆる音が消えて自分の足音しか聞こえなくなったら寂しいなあ。
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