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彼女のターニングポイント。

まずはひとりごと。18歳で関東へ来ました。はじめての一人暮らし。
声の仕事をしたくて、でも、狭き門だということは子供ながらにもわかっていて、親や大人を説得するために関東の学校に入ろうと思った。東京に近づけば、養成所に通える。ところが、入学から1ヶ月くらいで苦しくなったのをよーく覚えています。何しろ、その学校には当然なりたい職業があって入った生徒がほとんどだったから。クラスメイト、バイト先のオーナー、私は人に恵まれている。どうにかこうにか卒業。でも、社会に出た途端また挫折。卒業とともに就職するクラスメイト。私自身は、専念しようと思った世界に踏み出したのに、そんな自分が遊んでいるような気持ちになってきて。あの時ばかりは、もう二度と、この業界には戻らないと固く心に決め、音楽も、映画も、美術も、アニメも漫画も、ありとあらゆるエンターテインメントを絶った。そして、20代後半でまた再燃し東京に来るわけだけれども。そして、様々なタイミングやご縁があって、今ここで仕事をしています。

何が話したいかというと。
人生には、どうしても、理屈では説明ができないことが起きることがある。自分と、自分の周りの人と、社会や世界の動きに影響されながら、その時に何を選んだかで道ができると、そんなことを内に外に感じています。
つい先日、当時のクラスメイトが、キャリアチェンジ。多くが羨むような安定の代名詞のような立場を得ても、動かずにはいられなかたんだろうな。周りからもきっと止められるようなことばもたくさんあったと思う。何年も悩んだようだ。でも、いつか、こんな日が来るんだろうなと、彼女の性格をしみじみと思い返し思っていた。きっと、彼女にとってはもっと生き生きとできる場所がイメージできたのだと思う。先生、長い間、おつかれさま。素晴らしい人生を。

この手で、たくさんの人の場所を守って来たんだね。
このあと、私の体調が急激に変化しデザートが…涙

今回、たまたま「明日の予定は?」なんてぽんと連絡したら、まさに直後で、今日退職の挨拶したよと返信に書いてあった。お互いに電波を飛ばしていたのかもしれない…。
忘れもしない、私が20歳で地元に帰省したとき、訪ねて来てくれたのも彼女だった。
18歳、19歳、同じ教室で学んだけど、その時に違うことにもチャレンジしてると話してくれたのを覚えている。私は、そのことばに救われたんだ。私だけが外れていたようで罪悪感もあったから。
人生何が起きるかわからない。今を楽しんで、がんばってね。

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